黒島 椿のアンニュイな日記

よく空気嫁といわれます。が、そんな特殊能力は無いです

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リマ症候群物語

2014/12/14(日) 02:35:20 未分類 EDIT
リマ症候群とは・・・
wikiによれば------------------------
リマ症候群は、ストックホルム症候群とは逆に、
監禁者が被監禁者に親近感を持って攻撃的態度が和らぐ現象のこと。
被監禁者がストックホルム症候群になっている状況下で、
監禁者が被監禁者よりも人数が極端に少なく、かつ
被監禁者に比して監禁者の生活や学識・教養のレベルが極端に低い場合に起こるとされる。

1996年から1997年にかけて発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件では、
教育も十分に受けずに育った若いゲリラ達は人質と生活を共にするにつれ、
室内にあった本などを通じて異国の文化や環境に興味を示すようになり、
日本語の勉強を始めた者が出てきた。
ペルー軍特殊部隊が強行突入をする中、
人質部屋で管理を任されていた1人の若いゲリラ兵は
軽機関銃の引き金に指をかけていたが、
人質への親近感から引き金を引くことができずに部屋を飛び出し、
直後にペルー軍特殊部隊に射殺された。
----------------------------------------------------
とあります。
在ペルー日本大使公邸占拠事件については日本政府やペルー政府の対応などの問題が
いろいろ言われていますが、
私が一番ひっかかったのは非常にミクロな一人の
武装ゲリラの少女についてであります。

少女はペルーの貧しい村で生まれて
日本円で1万円もしないような値段で親に武装ゲリラ(MRTA)に売られたそうです。
学生が思想にかぶれてテロリストになるのとは違います。
そこには厳然たる貧困や人身売買の問題があり
少女には最初から選択肢など無かったように思います。
ゲリラ生活の中で対等な人間として扱われることなく
暴力と殺戮の荒んだ生活環境だったと想像できます。

古代、仁徳天皇は山から村を見て
「民のかまどより煙がたちのぼっていない!
 貧しくて炊くものがないのではないか!
 都がこうだから、地方はなおひどいだろう!
と考え「向こう三年、税を免ず」と言ったそうです。
例にだすには突飛な昔話ですが
日本人の精神を示す良い逸話だと思います。

また和をもって尊しとするといった言葉もあります。
私たちの日本は家族のような国家を無意識に理想として
その維持に努めてきた歴史があります。

そこには外国のような残虐な民族の衝突もなく
強烈な階級社会もなく(身分制度はあった)
厳格な一神教も広まることはありませんでした。
ぼや~っとした空気のような共同体意識で
文字通り空気を読むことを美徳とし
和を持って尊しとする精神がありました。
古代ローマのような裕福な市民が奴隷を使役するといった社会はなく、
下級武士も農民と共に畑を耕し汗を流す社会がありました。

ペルーの日本大使館に捕らえられていた日本人は
いわば当時の民間企業のエリートばかりでしたが
そこはやはり日本人らしく、自ら身の回りを整理整頓し、
差し入れがあれば身分に関係なく皆にお裾分けしていたようです。

ペルーの貧困社会で育ったテロリストからすれば
掃除や労働、物資の差出などは”奴隷”のやることであり
育ちの良いエリートのやることとは思えなかったでしょう。
島国日本が培った和の精神は西洋の階級社会意識とは
全く異質なものであります。
日本人はこの特異な精神文化を誇っていいと思います。
これは人間として正しい精神だと私は思います。
これは宗教ほど強烈なものではありませんが
キリスト教やイスラム教よりも深い精神性から生まれたものです。
だからこそ日本で生まれたわけでもない
ペルーの少女もどんどん”日本人化”していった。

貧民がエリートになるには武装蜂起しかないと思っていたのに
日本人のエリートは最初から自分たちを「一人のちゃんとした子供」
として扱ってくれた。
一人の不幸な少女の中ですさまじい衝撃があったと思います。

大使館占拠から120日あまりして政府の特殊部隊が突入してきたとき、
少女の役割は日本人人質を殺戮し、戦闘を続けることでした。
しかし銃の引き金がひけませんでした。引けるわけがありません。
すっかり日本の思いやりの心にやられてしまっていたのですから。

少女は部屋を飛び出しますがすぐに政府軍に捕らえられます。
そして縛り上げられ地下トンネルを引きづられ
四肢を切断されて強姦されて殺されてしまいます。

捕虜は一人もとられず、裁判もなく事件は終わりました。
武装ゲリラの生存者0名!

皮肉なことに世界中から非難された
在ペルー日本大使公邸占拠事件で日本人と過ごした120日間が
一人のゲリラの少女にとっては
もっとも人間らしい心を取り戻した唯一の時間だったのかもしれません。
本当に短い間であったけれども人間でいられた。
絶望ばかりの事件ですがそこにだけ救いがある気がします。
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少しお話が混ざってしまっているようです。
引き金を引けなかったのは別の少年みたいですよ。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid297.html

2015.01.08 23:18 #- URL[EDIT]

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