黒島 椿のアンニュイな日記

よく空気嫁といわれます。が、そんな特殊能力は無いです

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エヴァンゲリオンについてキモいくらい語る

2009/07/04(土) 02:33:31 妄想 EDIT
今日 金曜ロードショーで
エヴァンゲリヲン 劇場版 序
が放送されました。

というのを、家で同居している
中学生の男の子から聞いた今日この頃
皆様いかが お過ごしでしょうか

今から12年前に、中学生だった自分に
オタク的影響を与えた作品が今の平成生まれの中学生に
どう受け止められるのか興味がありますね。

そういえば最近、
私とテレビで東宝の傑作特撮映画、
『大魔神』を見ていた昭和20年代生まれの父が、
「当時としてはすごかったんだよ?」と言っていました。
今の私と似たような感覚だったと思います。
私は「後のガメラやモスラに繋がる東宝特撮物だ」とか
「今あの人形は海洋堂ビルにあるよ」などと夢のない感想しか言えず
オタクとして反省しております。
円谷プロの戦前の真珠湾映画を見た後だったので仕方ないです。
でも大魔神の造形はセンスが良いと思いました。



エヴァンゲリヲンに関して言えば
文学、芸術、映像業界、では 「エヴァ以降」
なんて言葉が定着しているほどに
エッポックメイキングな”現象”なんですが
それがどれほどの影響だったというと
まずインドアもしくはオタク文化は完全に影響を受けてしまいました。

私が高校の美術部に居たころは
デザイン画が人気があって、
しかも派手なカット割と明朝体の縦横配列
というエヴァンゲリオンの真似みたいなデザインが多かったですし

美術の先生とエヴァンゲリオンについて熱く語ることも
良くありました。

ついこの前も我が島(硫黄島)に海洋調査に来た大学教授と
懇談会の際、私が「硫黄島の海は赤いですよ~LCLの海ですよ~」と
酔った勢いで(KY)エヴァネタを話しましたら、
40代の教授が「エヴァンゲリオンですねー♪」
なんて返してくるほどに、オタクに浸透しているわけです。

私が子供だった”時代”を通してちょっと見てみます。
私が思春期を振り返る際
1995年  と   1997年  の
二つの西暦がものすごく重い感じがします。
1995年はエヴァンゲリヲンのテレビ放送が始まった年で
1997年は劇場版で最終回が放映されて 一応の完結をした年です。

1995年、小学6年生だった自分にとって衝撃だったのは
阪神淡路大震災とオウムサリン事件です。

私が感じたのは「命は重さでは量れない」ということと
「平和な日常のすぐ隣で悲惨な現実が存在できる」という違和感でした。
大震災では死者の数が最初32人から
どんどん膨れ上がる放送を見て
まるで現実感が無かったです。
3000人を超えたところで
「こんなに人が死んでるのに何も感じない自分は変なんじゃないか?」
と思いました。
皆さんも同じ感じがしたのではないでしょうか?
メーターのように上がる死者の数では
現実感が無くて当たり前です。
「教室の幾つかの机の上に花瓶が置かれていた」
このたった一つの事例の方がはるかに精神にショックを与えます。

オウムサリン事件も
「命」ということを考えさせられました
真面目に一生懸命、そうでなくても
人に迷惑をかけないように生きている人間が
「人の狂気」によって、
あっけなく殺されてしまう現実に腹がたちました。
「何も知らない警備員2名は床に散らばった無色の猛毒”サリン”を
 新聞紙と素手で『迷惑な客がいるもんだなぁ~』と言いながら拭き取った。
 後に二人とも亡くなった」
という新聞記事が一番衝撃的でした。
死ぬ直前まで、明日も続くであろう日常を心配する人間に
妙な いじらしさや健気さ、悲しさを感じました。

以来「素敵な宇宙船地球号」とか
「命は地球より重い」「愛は地球を救う」
なんてスローガンが大嫌いです。
全然リアリティが無いですから。

ですから1995年は思い出深いのです。
それにエヴァンゲリオンの放送が重なっています。

よくある
”『当時 流行した歌』を聴くと当時の自分に戻れる”
という感覚と一緒で
エヴァを見ると、大震災やサリン事件と
その時の感情を思い出すわけです。


1997年当時は中学2年生でした
エヴァの主人公達と同じ年に劇場版で最終回が放映される
とあって大分 興奮したのを覚えています。
当時私は歴史マニアで
実は同じ年 公開された
宮崎駿の『もののけ姫』の方が興味があって
映画館に座り続けて、もののけ姫を何回も見て
セリフを覚えてしまったほどなんですが
映画館を出たときびっくりしたのが
もののけ姫のテーマ
”生きろ”と
エヴァンゲリヲンのテーマ
”だからみんな死んでしまえばいいのに”
というポスターが両隣に貼ってあって
「今年のアニメ映画はムチャクチャだ!」
と感じました。
映画の内容は両作品とも”訳が解らない”という点で共通していて
アニメで”民族問題”や”文学”をやろうとした結果が
良く現れていました。

でも「もののけ姫」は歴史に民俗学の面白さを付加してくれましたし
「エヴァンゲリオン」はアニメにも三島由紀夫や綾小路実篤
みたいな文学的見方もあるんだと 気づかせてくれました。
私は当時から 読書の虫 だったので。。。

ということで1997年はエヴァンゲリオンともののけ姫
の二つのアニメ映画の印象のせいで思い出深くなっています。
あと”榊原聖徒事件”。
アニメやゲームを妄信的に批判する人もでてきた時代です。


話をエヴァンゲリヲンに戻しますと
「成長しない主人公」「斬新なカット割」「必殺技がない」
「敵が記号的」「敵がコンピュータウイルスや精神体」
「意味深な最終回」
という点が画期的でしたが、
それ以外は驚くほど古典的なロボアニメ
であることに気づきます。
「名前が 漢字○○オン」
「主人公と仲間しか操縦できないロボ」
「開発者が主人公の父親」
「美少女パイロット」
「秘密基地」
「暴走すると強くなる」
「後半になるほど崩れる作画」
などなど。かなり一般的なロボアニメなのです。

つまりエヴァンゲリオン自体が”超スゴイ”わけではないのです
ではなぜ「エヴァ以降」なんて言われるほどの影響があったのか?
それは多分、「エヴァンゲリオンって何だったの?」
という質問に誰もが議論しまくった結果だと思います。

その結果とは・・・
興味がアニメやマンガ自体から、それの消費の仕方へ移行したという点。
アニメやマンガは媒体でしかないのだから、
大事なのは見た人が作り上げる世界観なのだ。
という認識(つまり文学的見方)

こういう認識が”映像媒体””アニメ”に対してできるようになったのが
「エヴァ以降」であり、影響だと私は考えます。
何を隠そうこういう論文も、
またエヴァンゲリヲンの影響なのです。

ひとつのアニメに対して こんなにズラズラかくなんて(以下略)

ということで
エヴァンゲリオンの劇場版を見て興奮した
勉強しない中学生には
TV版の最終回を見せることにしましょう。

今思うと主人公自身が「これはアニメでしかない」
と気付く衝撃のTV版の最終回は
TVっ子には教育的かもしれません

「さぁ君たちも自分の現実世界と向き合って、
 とりあえず机に向かい合いなさい」
と教育してやることに致しましょうか? 
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